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田村 榮(たむら さかえ、Sakae TAMURA、1906年(明治39年)9月17日 - 1987年(昭和62年)7月22日)とは、主として日本戦前期に活躍した、芸術写真系統の写真家、写真編集者、写真評論家である。 == 人物・来歴 == 滋賀県生まれ。 1928年(昭和3年)、東京写真専門学校の卒業後、オリエンタル写真工業(現在のサイバーグラフィックス)に入社した。宣伝部に所属し、のちフォトタイムス編集部へ。 日本光画協会のメンバーとして写真作品制作を行う。ソフトフォーカスやデフォルマシオンを用いた、抒情性豊かな女性像の作品が多い。 1933年(昭和8年)から、木村専一のあとを継いで写真雑誌『フォトタイムス』の第2代(かつ最終の)編集長を務める。 新興写真研究会、前衛写真協会、青年報道写真研究会の、それぞれの会員でもあり、文字通りの「芸術写真」だけでなく、新興写真、前衛写真、報道写真などの幅広い作風を持っていた。また、特に編集長を務めた『フォトタイムス』誌上で、多くの写真評論を発表した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田村榮」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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