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田村沖之甫[たむら おきのすけ] 田村 沖之甫(たむら おきのすけ、1865年8月27日(慶応元年7月7日) - 1919年4月11日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 == 経歴 == 甲斐国東山梨郡相興村中尾(現:山梨県笛吹市一宮町)に宮司・田村義事の息子として生まれる。陸軍士官学校(旧10期)に入り、1888年(明治21年)7月28日、砲兵少尉に任官。1899年(明治32年)12月、陸軍大学校(13期)を卒業。陸軍省総務局勤務となる。 日露戦争に第4軍参謀として出征した。1908年(明治41年)12月、砲兵大佐に昇進し野砲兵第4連隊長に就任。1910年(明治43年)10月、ドイツ駐在武官に発令された。1913年(大正2年)2月、軍務局砲兵課長に転じた。1914年(大正3年)5月、陸軍少将に進級し参謀本部第4部長に就任。1916年(大正5年)8月、野戦砲兵第1旅団長となり、1917年(大正6年)8月、陸軍砲工学校長に異動。1918年(大正7年)7月、陸軍中将に進んだ。同年11月、待命となった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田村沖之甫」の詳細全文を読む
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