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田辺 淳吉(たなべ じゅんきち、1879年6月26日 - 1926年7月13日)は主に大正期に活躍した日本の建築家。清水組(現清水建設)の技師として銀行、学校、邸宅等を設計し、後に独立。 誠之堂、渋沢家飛鳥山邸の晩香廬・青淵文庫などが現存しており、大正期を代表する作品と高く評価されている。これらは、建築と工芸の提携、田園趣味など、アーツ・アンド・クラフツ運動の影響を受けた建築作品として位置づけられている〔INAX REPORT No170(2007年4月)「生き続ける建築―4 田辺淳吉」〕。 == 略歴 == * 1879年 東京府本郷西片町生まれ。父の新七郎は元福山藩士で宮内省の役人。兄の協一は日本画家として知られる。 * 1892年 高等師範学校附属小学校高等科(現・筑波大学附属小学校)卒業 * 1897年 高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業 * 1900年 第一高等学校卒業後、東京帝国大学工科大学建築学科に入学、辰野金吾に学ぶ。同期は佐野利器や佐藤功一、大熊喜邦、北村耕造らで、同期会「丼会」を結成している * 1903年 東京帝国大学工科大学建築学科卒業、北村耕造と清水組に入社 * 1909年 渋沢栄一らの訪欧米視察団に随行員として参加 * 1913年 清水組(現清水建設)技師長就任 * 1920年 清水組を退社 * 1921年 大学時代の恩師中村達太郎(1920年退官)と中村田辺建築事務所開設 * 1923年 京都府立第一高等女学校(現・京都府立鴨沂高等学校)講師を嘱託 * 1924年 同潤会評議員〔『同潤会十八年史』〕 * 1926年 死去、享年48 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田辺淳吉」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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