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田附政次郎[たづけ まさじろう] 田附 政次郎(たづけ まさじろう、文久3年12月15日(1864年1月23日) - 昭和8年(1933年)4月26日)は、日本の近江商人、実業家。東洋紡・日清紡ホールディングス・兼松創業に関与した。また、綿糸相場師として活躍し『田附将軍』と呼ばれた。
== 人物 == 文久3年(1863年)に現在の滋賀県東近江市に産まれる〔「滋賀県百科事典」(滋賀県百科事典刊行会 1984年)〕。船場八社の一つの田附商店を開業し、綿花取引や、綿業会をリードする存在であった〔。また、社会貢献として、京都大学に財団法人田附興風会、郷里の五峰村に公益財団法人五峰興風会、帝塚山学院、大阪市に北野病院などを開設している〔。相場師としても、売りの田附として有名で、「知ったら仕舞い」等の格言を残している。二代目田附政次郎は子、三和銀行専務をへて、三和キャピタル相談役、大阪化成品取締役、いすゞ自動車監査役、帝塚山学院・北野病院理事の三代目田附政次郎は孫、伊藤忠商事・丸紅創業者伊藤忠兵衛は叔父。NHKキャスターの国谷裕子、芸術家の田附楠人は曾孫。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田附政次郎」の詳細全文を読む
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