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田面木 博公(たもぎ ひろまさ、1962年5月30日 - )は日本中央競馬会 (JRA) 美浦トレーニングセンターに所属していた元騎手で、現在は杉浦宏昭厩舎に所属する調教助手。 == 来歴 == 1983年に高松邦男厩舎所属でデビュー。初騎乗は1983年3月5日、中山競馬第1競走のセノエクインで、16頭立ての10着だった。初勝利は同年3月19日、小倉競馬第4競走のヒカリジンデンで挙げた。 デビュー年に37勝を挙げ、最優秀新人賞を受賞。以降、2000年まで18年連続2桁勝利を記録した。重賞では1991年の産經大阪杯をホワイトストーンで制したほか、1992年の阪神3歳牝馬ステークスでは単勝オッズ35.9倍の穴馬スエヒロジョウオーを勝たせ、馬連12万馬券の片棒を担いだ。2000年にはダイワカーリアンとのコンビで札幌記念と富士ステークスをともに逃げ切り勝ちした。 2001年は9勝にとどまり、デビュー以来初めて二桁勝利を達成できず、そのころから徐々に勝ち鞍が減っていった。2003年は11勝を挙げて盛り返したが、2004年以降は騎乗回数が大幅に減少。2005年は未勝利に終わり、以降の勝ち鞍はひと桁で推移している。 2009年7月から高松邦男厩舎所属となっていたが、同厩舎解散にともない2010年1月よりふたたびフリーとなる。以降はおもに藤沢和雄厩舎の主力馬の調教を担当している。 2012年11月30日付で騎手を引退し、杉浦宏昭厩舎の調教助手となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田面木博公」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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