翻訳と辞書
Words near each other
・ 甲と乙
・ 甲にしき
・ 甲イカ
・ 甲ヶ山
・ 甲之森城
・ 甲乙
・ 甲乙丙
・ 甲乙丙丁
・ 甲乙丙丁戊己庚辛壬癸
・ 甲乙人
甲乱記
・ 甲介
・ 甲介炎
・ 甲仙
・ 甲仙区
・ 甲仙地震
・ 甲仙郷
・ 甲佐
・ 甲佐同盟
・ 甲佐町


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

甲乱記 : ウィキペディア日本語版
甲乱記[こうらんき]
甲乱記』(こうらんき)は、日本歴史書。著者・成立年代は不詳だが、天正10年(1582年)8月とする説がある。全一巻。
内容は天正10年(1582年)の甲斐武田氏の滅亡を記した軍記物語武田勝頼に対する木曽義昌の謀反から筆を置こし、恵林寺の焼失・織田信長の入甲を持って筆を収めている。
== 成立年代と著者 ==
成立年代は不詳であるが、後述の写本系諸本のうち1904年に佐村八郎が紹介している『甲乱之記』巻末には天正10年(1582年)8月に小田原(神奈川県小田原市)で執筆された記述があるとされるが、現在この写本は所在が確認されず、検証されていない。版本では江戸時代正保3年(1646年)に開版したと記されており、成立の下限は同年とされる。
著者は不明であるが、正保3年(1646年)武州江戸開版では末尾に武田家臣春日虎綱(高坂昌信)の甥である春日惣次郎によるとされる評語を記している。『国書総目録』では春日惣次郎を著者としている。春日惣次郎は原本が春日虎綱の口述記とされる『甲陽軍鑑』を虎綱の没後に書き継いだ人物とされ、武田氏の滅亡後は佐渡島で『甲陽軍鑑』を書き上げ、天正13年に死去したという。惣次郎の経歴は写本系『甲乱之記』に記される天正10年8月に小田原で執筆と矛盾し、1967年に服部治則は正保版本の評語の記主は惣次郎ではないとしている。また、2013年に丸島和洋は正保版本の刊行時に存命中の著名な武田遺臣である惣二郎の名を記すことで知名度を高めようとした意図を指摘している〔丸島(2013)、p.49〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「甲乱記」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.