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甲府銀座ビル[こうふぎんざびる] 甲府銀座ビル(こうふぎんざビル)はかつて山梨県甲府市に存在した建築物(ビルディング)である。 == 概要 ==
=== ダイエー・トポス時代 === 1970年代の甲府中央商店街付近には岡島百貨店やスーパーマーケットチェーンであるオギノ本店など複数の核店舗をはじめいくつもの商店街が入り組んでいる状態であったが、核店舗はいずれも県内資本の地域密着型であったため、全国チェーンの大規模資本が参入を目論むようになる。中央商店街は核店舗と結託して県外資本の参入を阻止しようとするが、中央商店街の中で外れにある銀座通りの商店街は甲府駅前に県外資本の店舗が進出することに危惧し、それならばと当時事業を拡大していたダイエーをあえて中央商店街に誘致する決断を取った。そして東映系の映画館「電気館」跡地に地上8階建、地下1階建のビルを建設し、1974年(昭和49年)に中心部初となる県外資本の核店舗ダイエー甲府店(愛称:甲府ショッパーズプラザ)が開業した。 ダイエー甲府店の影響は大きく、経営難が囁かれていた丸の内地区にある中込百貨店の経営破綻を決定付けただけでなく、中央商店街の歩行量を大幅に押し上げる結果となった。結果としてダイエー甲府店の進出は甲府中央商店街にとってもプラスに働いたが、中込百貨店跡に甲府西武が進出したのをはじめ、岡島百貨店や甲府駅前の山交百貨店が増床・改築を実施するなど対抗意識を見せたため、ダイエーも対策として総合スーパー「トポス」への業態転換を行ない、1989年(平成元年)9月9日にトポス甲府店に改称した。 しかしこの頃からモータリゼーションの影響による郊外化が進み、駐車場の確保が困難な状態である中心部の商業施設は軒並み低迷。トポス甲府店も例外ではなく、売上げが落ち込んでしまう。また親会社のダイエーも平成不況や阪神・淡路大震災の影響から経営危機に陥り、不採算店の整理を開始する。そして1998年(平成10年)に甲府西武が閉店するとさらに客足が遠のき、翌1999年(平成11年)11月14日〔トポス_(ディスカウントストア)#過去に存在したトポスの店舗より〕、甲府店も不採算店の対象になり、閉店した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「甲府銀座ビル」の詳細全文を読む
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