翻訳と辞書
Words near each other
・ 甲斐大泉温泉
・ 甲斐大泉駅
・ 甲斐奈神社
・ 甲斐奈神社 (甲府市)
・ 甲斐奈神社 (笛吹市一宮町)
・ 甲斐奈神社 (笛吹市春日居町)
・ 甲斐好美
・ 甲斐姫
・ 甲斐孫六
・ 甲斐守
甲斐宗立
・ 甲斐宗運
・ 甲斐将久
・ 甲斐将馬
・ 甲斐小泉駅
・ 甲斐岩間駅
・ 甲斐市
・ 甲斐市立敷島中学校
・ 甲斐市立竜王北中学校
・ 甲斐常治


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

甲斐宗立 : ウィキペディア日本語版
甲斐親英[かいちかひで]
甲斐 親英(かいちかひで、天文9年(1540年)? - 天正15年8月16日1587年9月18日)〔『北肥戦誌』の記述。〕)は、安土桃山時代武将阿蘇氏の家臣。甲斐親直(宗運)の嫡男出家宗立と号す。官位は相模守。名は親秀とも書く。
== 生涯 ==
肥後国大名・阿蘇氏家臣である甲斐親直(宗運)の嫡男として誕生。
主家の外交方針に逆らって日向伊東義祐に接近した親英の弟ら3人を殺害した父・宗運を排除しようとするが失敗。家臣のとりなしで助命された(この件が一因となって親英の妻は宗運殺害を決意したという)。父の死後、筆頭家老となる。ところが、阿蘇氏の本拠地・矢部に篭り守勢に徹するべしとの宗運の遺言を守らず、天正13年(1585年)に島津氏花の山城を攻撃し反撃を招いた。これにより、甲佐城堅志田城を落とされ、居城の御船城を放棄。隈庄城を開城して降伏するが和平交渉中に捕らえられ八代へ連行される。2歳の当主・阿蘇惟光は島津氏に降伏したのちに母親に連れられ逃走し、阿蘇氏は滅亡した。
ほどなく九州は豊臣秀吉によって平定され、親英は旧領の御船を回復した。しかし肥後の領主として派遣された佐々成政の施策に肥後の国人衆は反発し、天正15年(1587年)に反乱を起こす(肥後国人一揆)。親英はこれに参加し菊池武国らと隈本城を攻撃、落城寸前まで攻め込むが撃退される。結局反乱は鎮圧され、親英は逃れて健軍神社にいたところを成政家臣の軍勢に見付かり、雑兵の手に掛かるよりはと六ヶ所村(嘉島町上六嘉)の地蔵堂へ入り自害して果てた〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「甲斐親英」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.