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甲斐庄正房[かいしょう まさふさ] 甲斐庄 正房 (かいしょう まさふさ、永禄7年(1564年) - 寛永7年7月22日(1630年8月20日))は江戸幕府の旗本。旗本甲斐庄氏3代目。甲斐庄正治の子。通称、喜右衛門(7代正壽まで同名を名乗る)。室は加賀藩前田氏家臣中黒弥兵衛の娘。子に甲斐庄正述、雀部重良室ほか女子1人。 父とともに徳川家康に仕え、小田原征伐に従軍し、関東で封地300石を給い、慶長4年(1599年)に父が没し封地合わせて600石を領する。関ヶ原の戦いに従軍ののちに大番組頭となる。大坂の陣両陣に従軍し、河内の地理に詳しいことから道案内をつとめたたり、事前に野武士の大坂入城を阻止した。夏の陣では、水野勝成隊に属して戦功あり、関東より甲斐庄氏の出自の地の河内国錦部郡2000石と半ば放棄されていた烏帽子形城を賜い、旧知600石は収公される。だが後に烏帽子形城は廃城とされる。四天王寺の造営奉行を務め、天領13000石を預かった時期もあった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「甲斐庄正房」の詳細全文を読む
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