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甲斐親宣(かいちかのぶ、生没年不詳)は、日向高千穂鞍岡の国人。阿蘇氏の家臣。甲斐重綱の子。甲斐親直(宗運)の父。 1514年頃、阿蘇惟豊が菊池武経との争いに敗れ肥後から落ち延びてくるとこれを助け、復権を成功させる。以後、阿蘇家の筆頭家老として活躍。惟豊をして「親宣がいるから何も心配事がない」といわしめた。またある時病に倒れ出仕を控えたところ、「親宣殿がいないから大事な会議が進まない」と家臣たちを嘆かせたという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「甲斐親宣」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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