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甲突川五石橋(こうつきがわごせっきょう)は、鹿児島市を流れる甲突川にかつて架かっていた石橋群。上流から玉江橋、新上橋、西田橋、高麗橋、武之橋の順。1993年8月6日の鹿児島大水害により5石橋のうち新上橋と武之橋の2橋が流失し、玉江橋、西田橋、高麗橋の3橋がその後石橋記念公園に移設保存されている。 ==解説== *玉江橋(たまえばし) *:1849年(嘉永2年)架設。4連アーチ橋。橋名は建設された当時の藩主であった島津斉興の衣類等につけられた「玉の印」に由来するという説と、この付近には湿田が多く所在していたことから、雨が降るたびに入り江の様に水がたまることに由来するという説がある〔角川日本地名大辞典 p.422〕。。水害に伴う河川改修により石橋記念公園へ移設、保存されている〔玉江橋 - 鹿児島市 2012年1月25日閲覧。〕。 *新上橋(しんかんばし) *:1845年(弘化2年)架設。4連アーチ橋。アーチ径間は中央2つが10.8m、両側が9.5mであった〔角川日本地名大辞典 p.361〕。1993年(平成5年)の鹿児島大水害(8・6水害)にて流出〔新上橋 - 鹿児島市 2012年1月24日閲覧。〕。 *西田橋(にしだばし) *:1846年(弘化3年)架設。4連アーチ橋で全長50mであった〔角川日本地名大辞典 p.497〕。眼鏡橋とも呼ばれた〔西田橋 - 鹿児島市 2012年1月25日閲覧。〕。1953年(昭和28年)に鹿児島県の有形文化財に指定された〔国及び県指定文化財 - 鹿児島県 2012年1月25日閲覧。〕。鹿児島県道24号鹿児島東市来線の路線上に存在した。 *高麗橋(こうらいばし) *:1847年(弘化4年)架設。4連アーチ橋。アーチ径間は中央2つが12.8m、両端2つが11.2mであった〔角川日本地名大辞典 p.282〕。水害に伴う河川改修により石橋記念公園へ移設、保存されている〔高麗橋 - 鹿児島市 2012年1月25日閲覧。〕。 *武之橋(たけのはし) *:1848年(嘉永元年)架設。5連アーチ橋。甲突川に架かる橋としては最長となる71mであった〔角川日本地名大辞典 p.408〕。鹿児島県道20号鹿児島加世田線の路線上に存在していた。1993年(平成5年)の鹿児島大水害(8・6水害)にて流出〔武之橋 - 鹿児島市 2012年1月25日閲覧。〕〔たまたま現場に居合わせた人によって撮影された崩落の瞬間の映像が残されている。〕。 File:Tamae_Bridge.jpg|石橋記念公園に保存されている玉江橋 File:Korai_Bridge.JPG|石橋記念公園に保存されている高麗橋 File:Nishida_Bridge.JPG|石橋記念公園に保存されている西田橋 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「甲突川五石橋」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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