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甲陽映画[こうようえいが] 甲陽映画(こうようえいが、1936年設立 - 1937年解散)は、かつて西宮に存在した日本の映画会社である。剣戟映画を得意としたが、短命に終わった。 == 略歴・概要 == 現在の兵庫県西宮市甲陽園本庄町の甲陽幼稚園のあたりにあった「甲陽撮影所」で映画製作をしていた極東映画社が、大阪府南河内郡古市町(現在の羽曳野市白鳥)の「古市撮影所」に移転した際に、「極東」の方針に反対し、スター俳優羅門光三郎、市川寿三郎、綾小路絃三郎ら、監督の下村健二、園池成男こと古海卓二、児井秀男(のちの児井英生)が甲陽園に残留、1936年(昭和11年)5月に同地に設立した〔マツダ映画社の公式サイト内の「柳生二蓋笠 」での記述を参照。〕。設立第一作は下村健二監督の『元和三勇士』であった。同作は提携先の千鳥興業の配給で、同年7月1日に公開された。 同年10月1日公開の『どくろ大明』三部作から千鳥興業との提携をやめてマキノ・トーキー製作所が配給したが、1937年(昭和12年)、自社配給に乗り出したところ経営が悪化、同年5月には解散することとなった〔。今井映画製作所との提携で製作したトーキー映画、監督下村健二・久保田富彦監督の『快闘 富士の男伊達』が、同年7月15日に公開されたのが最後である。 市川寿三郎、綾小路絃三郎は同社設立の夏過ぎには、極東映画に戻った。大塚田鶴子、鳴戸史郎は奈良の全勝キネマへ、羅門光三郎、若月輝夫、金井憲太郎、監督の下村健二、児井英男は最後まで残り、今井映画へ移籍した。貴志洋子、中山介二郎、桜井京子は同社解散以降の資料が見当たらず〔日本映画データベースの各項を参照。〕、監督の園池こと古海卓二は廃業してしまった〔『日本映画監督全集』(キネマ旬報社、1976年)の「古海卓二」の項(p.350-362)を参照。同項執筆は竹中労。〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「甲陽映画」の詳細全文を読む
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