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申 師任堂(しん・しにんどう、シン・サイムダン、、1504年 - 1551年)李氏朝鮮中期の女流書画家。儒学者李栗谷(り・りっこく、イ・ユルゴク)こと李珥(り・じ、イ・イ)の母。朝鮮では良妻賢母の鑑とされる。 本貫は平山。江原道江陵の出身。父は名賢と言われた申命和、母は龍仁李氏である思温の娘である。名前は伝わっていない。号は師任堂、思任堂、師妊堂、妊師斎、(女ヘンに思)任堂など。師任堂とは、古代中国周王朝の文王の母・太任を師として見習うと言う意味である。 == 概説 == 師任堂は幼いころから四書三経に親しみ、孝心と志が高く、文章・針工・刺繍にたけていた。特に詩文と絵画に優れ、さまざまな漢詩作品が伝えられている。また安堅の影響を受けた画風は精緻精妙であり、朝鮮一の女流画家と評されている。人物は余り描かず、山水・葡萄・草・虫などを得意とした。 申師任堂は江陵で育ち、19歳で徳水李氏の元秀に嫁いだ。元秀の母(姑)と元秀は、師任堂の孝心と才能を愛し、その才能を十分に発揮できるように支援したと言われる。このため申師任堂は、朝鮮時代の女性としては稀とも言える自由闊達な環境でその才能を発揮した。元秀は、妻の描いた絵を、友人に見せて自慢したと言う微笑ましい逸話も伝わっている。38歳の時に漢城(ソウル)に転居した。 師任堂は7人の子供を産んだが、子供の教育にも熱心であった。朝鮮時代最高の儒学者として知られる李栗谷(李珥)は師任堂の三男であり、師任堂は賢母良妻の鑑とされている。 韓国銀行は2009年6月23日発行の5万ウォン札の肖像に、申師任堂の肖像を用いる。なお息子の栗谷の肖像画は5千ウォン札に用いられている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「申師任堂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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