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申泰英 : ウィキペディア日本語版
申泰英[しん てよん]

申 泰英(シン・テヨン、신태영、1891年-1959年)は大韓民国軍人国防部長官。第3代陸軍参謀総長を務めた。創氏改名による日本名平山輔英。日本陸軍少佐、韓国陸軍中将の申應均の父。
== 人物 ==
1891年、漢城府に生まれる。
1905年、韓国軍幼年学校に入学。
1906年、韓国軍武官学校入学。
1909年、陸軍幼年学校に編入。
1912年に陸軍士官学校へ入学して1914年に26期生として卒業。同期に李應俊洪思翊池青天安秉範などがいる。終戦時は日本陸軍中佐。
1948年、韓国陸軍に入隊(軍番12311番)し、11月に大佐となり行政参謀副長兼国防部第1局長。
1949年5月、任准将。8月、護国軍参謀副長。10月、任少将、陸軍参謀総長。
1950年4月、兵器行政本部長。
6月25日の朝鮮戦争の勃発に伴い7月8日に全羅北道編成管区司令官となり、全羅北道の防御を担当したが申性模と用兵上の意見が衝突して7月28日に罷免される。
1952年1月、陸軍本部付となる。3月、任中将、予備役編入。編入後、国防部長官となるが6月に依願免。
1954年2月、現役編入となり民兵隊総司令官。
1956年6月、再び予備役編入。
1959年4月、死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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