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町田 直希(まちだ なおき、1988年3月16日 - )は、地方競馬の川崎競馬場・秋山重美厩舎所属の騎手である。地方競馬教養センター騎手課程第81期生〔第81騎手候補生修了式 - 地方競馬情報サイト〕。 == 来歴 == 町田は、本当は地元の宇都宮競馬場でデビューしたかったとのことだが、ちょうど廃止の話が出ていたため断念し、川崎競馬場でのデビューとなった〔0504☆町田直希騎手がデビューします☆ - 川崎競馬倶楽部〕。川崎でデビューするきっかけを作ったのは佐々木竹見であった。 勝負服の柄は、町田の目標である今野忠成騎手の色違いである胴青・袖白青二本輪を希望していたが、秋山調教師の鶴の一声で黄色一色になった。この色には町田には注意しろという意味が込められている。(秋山は本当は赤一色にしたかったらしいが、印象の深い騎手にしたかったことや、既に同じ川崎競馬場の山崎誠士が赤一色の勝負服で登録していたため黄色にしたという)。 2005年3月31日付けで地方競馬騎手免許を取得〔平成16年度第4回調教師・騎手免許試験新規合格者発表 - 地方競馬情報サイト〕。同年4月18日川崎競馬第6競走シダグレースで初騎乗(10頭立て7番人気9着)〔2005年4月18日 川崎競馬第6競走 競走成績 - 南関東4競馬場公式〕。翌4月19日川崎競馬第8競走陽炎特別(C1二組)スフィーダで初勝利(13頭立て6番人気)〔2005年4月19日 川崎競馬第8競走 競走成績 - 南関東4競馬場公式〕。 デビュー当初から活躍し、1年目には31勝を挙げ連対率も2割を超えた。同年には日本プロスポーツ大賞新人賞・NARグランプリ優秀新人騎手賞などを受賞した。 また、同年12月には東京2歳優駿牝馬での騎乗を可能にするため、秋山と協議の上で減量騎手解除申請をした〔南関東4競馬場では減量騎手はSI競走(当時はGI)に騎乗できない。〕。申請は受理され、騎乗が可能となった同レースではアーペレーヌで2着(16頭立て5番人気)となった〔2005年12月30日 大井競馬第10競走(東京2歳優駿牝馬) 競走成績 - 南関東4競馬場公式〕。 2006年3月20日第20回全日本新人王争覇戦出場(12人中8位)〔全日本新人王争覇戦 - えるえるさいず〕。同年東京ダービーをビービートルネードで優勝(16頭立て12番人気)〔2006年6月7日 大井競馬第11競走(東京ダービー) 競走成績 - 南関東4競馬場公式〕し、重賞初制覇が東京ダービーという快挙を達成、18歳にしてダービージョッキーとなる。18歳での東京ダービー制覇は大和田五郎の19歳を更新する史上最年少記録であった。 2007年12月6日第9回船橋競馬4日目第8競走柊特別(3歳249万円以上301万円以下)をミヤビツヨシオーで優勝(14頭立て3番人気)〔2007年12月6日 船橋競馬第8競走 競走成績 - 南関東4競馬場公式〕し、1560戦目で地方競馬通算100勝を達成〔川崎の町田直希騎手、地方通算100勝達成 - netkeiba.com〕。 2009年4月29日第1回浦和競馬第3日目第5競走C3六組・七組条件戦をシベチャリレンジャで優勝(12頭立て7番人気)〔2009年4月29日 浦和競馬第5競走 競走成績 - 南関東4競馬場公式〕し、3187戦目で地方競馬通算200勝を達成〔町田 直希騎手の200勝達成について - 川崎競馬公式〕。 2010年4月29日第1回浦和競馬第4日目第1競走3歳条件戦(51万円以上104万円未満)をアヤカチャンで優勝(10頭立て4番人気)〔2010年4月29日 浦和競馬第1競走 競走成績 - 南関東4競馬場公式〕し、4596戦目で地方競馬通算300勝を達成〔町田直希騎手の300勝達成について - 川崎競馬公式〕。 2011年5月24日第4回大井競馬第2日目第10競走のパドックにて落馬負傷し、当該競走を含む残りの騎乗予定は全て乗り替わりとなった〔2011年5月24日 大井競馬 変更情報一覧 - 南関東4競馬場公式〕。4ヶ月の療養を経て、同年9月20日の第6回船橋競馬第1日目第3競走にて復帰を果たした〔町田直希騎手の復帰について - 川崎競馬公式〕〔2011年9月20日 船橋競馬第3競走 競走成績 - 南関東4競馬場公式〕。 2013年7月19日第3回浦和競馬第2日目第6競走C3一組~三組条件戦をギルトブロンズで優勝(12頭立て2番人気)〔2013年7月19日 浦和競馬第6競走 競走成績 - 南関東4競馬場公式〕し、7874戦目で地方競馬通算500勝を達成〔町田直希騎手の500勝達成について - 川崎競馬公式〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「町田直希」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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