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町野幸宣[まちの ゆきのぶ] 町野 幸宣 (まちの ゆきのぶ、元和3年(1617年) - 元禄14年9月25日(1701年10月26日))は、江戸時代の旗本。斎藤利宗の三男で、初名は幸長。町野幸和の養子となり幸宣と改名した。新次郎、左近、助右衛門(断家譜では助左衛門)。壱岐守。 万治元年(1658年)9月、内藤政吉・秋山正房・近藤用将とともに江戸中定火之番(定火消)を命ぜられた。万治2年(1659年)1月4日、江戸の上野東照宮の前で4代将軍徳川家綱臨席のもと、同職の定火消と出初式を挙行した。これが日本における出初式の始まりである。寛文元年(1661年)7月、書院番頭に昇進し、従五位下、壱岐守に叙任された。領地を甲斐国5000石より相模国内5000石に移される。延宝2年(1674年)、海老名郷大谷村などの領主となり、農民の年貢を重くし、子の町野幸重の代にさらに厳しくした。 ==参考文献==
*東京大学史料編纂所「大日本古文書 - 家わけ 第21 蜷川家文書」全6巻(寛文之頃蜷川喜左衛門自筆書付写)
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「町野幸宣」の詳細全文を読む
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