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畑英太郎[はた えいたろう] 畑 英太郎(はた えいたろう、1872年8月28日(明治5年7月25日) - 1930年5月31日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。 ==経歴==
福島県出身。会津藩士・警察官、畑能賢の長男として生れる。東洋英和学校〔『歴代陸軍大将全覧(昭和編/満州事変・支那事変)』「陸軍大将略歴」p15〕(現・麻布中学の前身にあたる)、三井銀行勤務を経て、陸軍士官学校入校。1896年5月、7期・歩兵科を首席卒業。翌年1月、陸軍少尉任官。1903年11月、陸軍大学校(17期)を優等で卒業した。近衛歩兵第2連隊中隊長を経て、日露戦争には第1軍兵站副官として出征、同兵站参謀、鴨緑江軍兵站参謀、大本営参謀を務める。 参謀本部員、参謀本部付(イギリス差遣)、イギリス大使館付武官補佐官、インド駐剳武官、欧州出張、陸軍省軍務局軍事課員、歩兵第56連隊長、軍事課長などを歴任し、1920年8月、陸軍少将に進級。航空局次長、軍務局長を経て、陸軍中将に進級、陸軍次官、兼軍事調査委員長、第1師団長を歴任した。1929年7月、関東軍司令官となり、張作霖爆殺事件後において畑の手腕が期待されていた。しかし、翌年5月1日、陸軍大将に進級後、現役のまま旅順で死去した。公式には「病死(急性腎臓炎)」と発表されたが、何者かによる毒殺説も存在する。稚松会会員。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「畑英太郎」の詳細全文を読む
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