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畝部村(うねべむら)は、かつて愛知県碧海郡にあった村である。 現在の豊田市南部(畝部東町・畝部西町・配津町など)に該当する。 == 歴史 == * 1872年(明治5年) - 宗定村が北宗定村と南宗定村に分立する。 * 1878年(明治11年) - 北宗定村と南宗定村が合併し、宗定村となる。 * 1883年(明治16年)10月27日 - 阿弥陀堂村の伊豫田興八郎は三河国碧海郡安城村他六十九ヶ村が高地で乾燥し灌漑にも乏しく、常々干ばつの被害をさけられない事を憂いて、同郡城ヶ入村の岡本兵松等と奔走尽力し水路を開墾。これにより良田四千余町歩を得るに至ったことから、公衆の利益を興し成績著名なる者として、賞勲局に於いて藍綬褒章が授章された。〔『官報』第183号、「褒賞」1884年2月12日。p.8〕 * 1889年(明治22年)10月1日 - 中切村、宗定村、川端村、上中島村、阿弥陀堂村、国江村、配津村が合併し、畝部村が発足。 * 1906年(明治39年)5月1日 - 寿恵野村、枡塚村、上野村、和会村と合併し、上郷村が発足。同日畝部村は廃止。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「畝部村」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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