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畠山 基利(はたけやま もととし、生年不詳 - 天保11年2月19日(1840年3月22日))は、高家旗本。畠山国祥の息子。通称は左衛門。官位は従五位下侍従・中務大輔。 文化8年(1811年)12月27日父国祥の死去により、家督を相続する。文政2年(1819年)2月28日将軍徳川家斉に御目見する。文政6年(1823年)12月4日晋姫と結婚する。文政9年(1826年)12月15日、高家職に就き、従五位下侍従・紀伊守に叙任する。後に式部大輔、中務大輔に改める。天保11年(1840年)2月19日死去、三十七歳。 正妻は播磨明石藩主松平直泰の娘晋姫(離婚)。養子基徳らの子女あり。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「畠山基利」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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