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畠山義堯[はたけやま よしたか]
畠山 義堯(はたけやま よしたか)は、戦国時代の武将、守護大名。河内・山城の守護で室町幕府管領。畠山総州家5代目。 大永6年(1526年)、一時的とはいえ室町幕府管領となる。その後、義兄弟でもある細川晴元と結んで、共通の敵であった細川高国や同族の尾州家当主畠山稙長と争い、大物崩れにおいて高国を倒した。だが、その後の方針を巡って盟主・晴元と対立。勢力拡大を警戒されたばかりか、晴元との関係強化を独自に画策する重臣・木沢長政には離反された上、畠山稙長まで加わった連合軍を形成され、攻撃を受ける。 享禄5年(1532年)6月15日、長政の居城・飯盛山城を三好元長と攻囲し、戦局を優位に進めていた中、長政の支援に現れた一向一揆に敗れて自刃(飯盛城の戦い)。これによって応仁の乱以来、畠山氏を二分していた義就系畠山氏(畠山総州家)は没落した。 == 関連項目 ==
* 享禄・天文の乱
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「畠山義堯」の詳細全文を読む
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