翻訳と辞書 |
畠山義深[はたけやま よしふか] 畠山 義深(はたけやま よしふか/よしとお〔安田(1990)p407〕 、元弘元年(1331年) - 康暦元年/天授5年10月12日(1379年11月21日))は、南北朝時代の武将。畠山氏6代当主。畠山家国の子。兄弟に畠山国清、足利基氏室が、子に畠山基国、畠山深秋がいる。通称、三郎。増福寺と号。 国清とともに幕政に参与、関東で兄とともに北朝方として戦う。以降兄と行動を共にし、康安元年(1361年)11月、兄国清が伊豆で挙兵した際もこれに従うが(畠山国清の乱)、敗北し降伏〔 。貞治5年(1366年)、幕府に許され、貞治の変で失脚した斯波高経の分国であった越前守護に任命され、高経を打ち破った〔。のち、能登守、越中守、河内守、和泉守、紀伊守、伊豆、越前の守護を歴任した〔。 == 脚注 ==
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「畠山義深」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|