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畠山義真 : ウィキペディア日本語版
畠山義真[はたけやま よしざね]

畠山 義真(はたけやま よしざね)は、安土桃山時代から江戸時代中期にかけての武将旗本畠山義春の三男(ただし享年を計算すると兄の長員の方が年下になってしまうため、疑問がある)。
== 概要 ==
畠山義春の三男として誕生。
母方の伯父である越後国大名上杉景勝養子となり、天正11年(1583年)に上杉義真と名乗った(継嗣扱い)。『上杉家御年譜』によると天正14年(1586年)、豊臣秀吉の元に人質として送られるが、4年後には上杉家に戻った。
しばらくして上杉家を出て実父の元(河内国)で暮らす。その後畠山姓に復し、名実共に能登畠山氏の名跡を継承した。
慶長6年(1601年)、徳川家康に拝謁して近侍を始める。元和3年(1617年)には大和国宇智郡に3120石の知行を与えられ上級旗本となった。徳川秀忠に草創期の高家として傍に仕え、江戸城で行われる式典の基礎を築いた。また、景勝の孫・上杉綱勝がわずか8歳で米沢藩主となると、義真は江戸城登城の際に必ず同伴するなど、後見的な役割を果たした。万治2年(1659年)に隠居し、家督を次男の義里に譲った。
延宝2年(1674年)、90歳を超える長寿で死去した。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「畠山義真」の詳細全文を読む



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