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畠山 義躬(はたけやま よしかた、元禄元年(1688年) - 元文5年1月21日(1740年2月18日))は、高家旗本。畠山義寧の長男。通称は左門、主計。 元禄11年(1698年)8月14日将軍徳川綱吉に御目見する。享保18年(1733年)12月4日父の隠居により家督を相続する。元文5年(1740年)4月6日、隠居し、家督を養子の義紀に譲る。同年1月21日に死去、享年53。 正室は津軽政兕の娘。養子義紀(上杉吉憲の三男)、娘(義紀室)の一男一女。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「畠山義躬」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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