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白木正博[しらき まさひろ] 白木 正博(しらき まさひろ、1885年11月3日 - 1960年11月2日)は、日本の医学者(産科学・婦人科学)。日本の産婦人科学界の父と呼ばれ、子宮がん治療に初めて放射線を採用したことで知られる。白木博次は次男。 == 経歴 == 長野県南安曇郡明盛村(現安曇野市)に医師白木鉄平の長男として生まれる。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制第二高等学校を経て、1911年東京帝国大学医学部を卒業し、同校産婦人科教室の助手、1915年には助教授となった。 1921年文部省の命令により、ドイツ・イギリス・フランスに留学、同年に「家兎卵巣に対する硬レントゲン線の作用について」で医学博士となる。1924年帰国、1926年九州帝国大学教授、1936年母校教授となる。1944年勲二等瑞宝章受勲、1949年日本産婦人科学会名誉会員となる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「白木正博」の詳細全文を読む
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