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白滝鉱山(しらたきこうざん)は、高知県土佐郡大川村の東北、朝谷部落の北部、四国山脈の南に面した山の中腹にあった鉱山〔廃墟検索地図 〕。 == 沿革 == * 1699年(元禄12年2月) 本川銅山(大北川銅山)土佐藩により開炭〔大川村の概要 〕。 * 1703年(元禄16年11月) 閉坑。 * 1815年(文化12年10月)開坑。 * 1818年(文政元年5月) 阿波藩と吉野川の鉱毒水による公害問題で協講戸整わず閉山、閉坑。 * 1823年(文政6年7月) 本川郷安屋源六、野地鉱山の試堀開鉱を試みるが、阿波藩の拒否により開坑できず。 * 1863年(文久3年3月) 開坑。土佐藩主山内容堂 阿波藩主・蜂須賀茂昭に直接面接、同意を得て開坑。 * 1871年(明治4年11月) 樅之木鉱山開坑。 * 1887年(明治20年9月) 住友樅之木鉱業所 開設。 * 1894年(明治27年11月) 中久保鉱山休業。 * 1896年(明治29年3月) 住友家より永野慶右衛門・大橋藤次・高野鉄次郎に譲渡。 * 1913年(大正2年) 宇都宮壮十郎が宇宝合名会社による諸鉱山の経営を行い、経営効率の増進のため設備の近代化を推進。 * 1915年(大正4年1月) 大北川藤ノ谷に最大出力120kwの自家用水力発電所竣工。 * 1916年(大正5年) 大北川、樅の木、大川、白滝、中蔵、喜多賀和、朝谷の7鉱山の統一通称名を「白滝鉱山」と定めた。 * 1917年(大正6年1月) 樅の木製錬所煙害補償協定が締結された、宇宝合名会社との間に補償協定が結ばれた。 * 1917年(大正6年1月) 宇摩郡中之庄具定(伊予三島市)まで21Kmの架空索道完成。 * 1919年(大正8年3月) 久原鉱業株式会社(現在日本鉱業株式会社)に譲渡。 * 1972年(昭和47年3月) 白滝鉱山閉山される。 * 1973年(昭和48年6月) 日本鉱業株式会社と高知県及び大川村の間に於いて日本鉱業株式会社所有地の鉱山跡地売買契約成立。 * 1979年(昭和54年4月) 県有財産売買契約成立。鉱山跡地は全部村有地となる。 * 1985年(昭和60年4月) 白滝総合開発着手。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「白滝鉱山」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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