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白石城の戦い[しろいしじょうのたたかい]
白石城の戦い(しろいしじょうのたたかい)は、慶長5年(1600年)7月に行なわれた伊達政宗軍と上杉景勝軍の戦いである。 == 概要 ==
=== 経緯 === 慶長3年(1598年)8月18日に豊臣秀吉が死去すると、五大老筆頭の徳川家康が次の覇者の座を狙い始めた。そして秀吉生前の掟を破って伊達政宗や蜂須賀家政らと婚姻を結ぶなどして政権内部で影響力をさらに強めたため、五奉行の石田三成ら反家康派が反発する。慶長4年(1599年)閏3月3日に五大老の次席格だった前田利家が死去すると、家康の勢いはもはやとどまることがなく、慶長5年(1600年)に入ると家康と三成の対立はもはや避けられないものとなりつつあった。 そして、会津の上杉景勝が年賀の挨拶で上坂せず、さらに最上義光や堀秀治らから景勝が領内で軍備を増強しているという訴えがあったため、家康と景勝の対立が起こる。家康は景勝に陳弁のための上坂を求めたが、景勝とその家老の直江兼続はこれを拒否したため、家康の号令で会津征伐が発生した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「白石城の戦い」の詳細全文を読む
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