翻訳と辞書
Words near each other
・ 百済寺 (奈良県広陵町)
・ 百済寺 (広陵町)
・ 百済寺 (枚方市)
・ 百済寺バスストップ
・ 百済寺跡公園
・ 百済市場駅
・ 百済意多郎
・ 百済文輔
・ 百済新撰
・ 百済書記
百済本記
・ 百済村
・ 百済楽
・ 百済氏
・ 百済永継
・ 百済河成
・ 百済王
・ 百済王 (皇族)
・ 百済王俊哲
・ 百済王勝義


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

百済本記 : ウィキペディア日本語版
百済三書[くだらさんしょ]
百済三書(くだらさんしょ)は、『百済記(くだらき)』・『百済新撰(くだらしんせん)』・『百済本記(くだらほんき)』の3書の総称(以下「三書」と略記する)。いずれも百済の歴史を記録した歴史書で、現在には伝わっていない逸書であるが、一部(逸文)が『日本書紀』にのみ引用されて残されている。
なお、『百済本記』と、『三国史記』に収められた「百済本」とは異なる。
== 内容 ==
『日本書紀』に引用されている逸文からわかる範囲では、近肖古王から威徳王の15代にわたる200年近い歴史の記録が記されている。古い記録を扱っている方から順に『百済記』、『百済新撰』、『百済本記』となる。井上光貞は『百済記』は物語風の叙述が主で、『百済新撰』は編年体風の史書、『百済本記』は純然たる編年体史であったと推定している〔日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店、1967)巻第九補注37。〕。人名も多く載っており、その中には『百済記』に見える職麻那加比跪(しくまなかひこ)を千熊長彦に、沙至比跪(さちひこ)を葛城襲津彦にというように、『日本書紀』編者によって日本側の史料に現れる人物に比定される者もいる〔「職麻那加比跪」は編者自身が千熊長彦かと記しており(神功皇后紀摂政47年4月条分注)、「沙至比跪」は葛城襲津彦の伝記として引用されている(同前62年条分注)。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「百済三書」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.