翻訳と辞書
Words near each other
・ 百済市場駅
・ 百済意多郎
・ 百済文輔
・ 百済新撰
・ 百済書記
・ 百済本記
・ 百済村
・ 百済楽
・ 百済氏
・ 百済永継
百済河成
・ 百済王
・ 百済王 (皇族)
・ 百済王俊哲
・ 百済王勝義
・ 百済王南典
・ 百済王孝忠
・ 百済王慈敬
・ 百済王慶仲
・ 百済王教法


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

百済河成 : ウィキペディア日本語版
百済河成[くだら の かわなり]

百済 河成(くだら の かわなり、延暦元年(782年) - 仁寿3年8月24日853年9月30日))は、平安時代初期の貴族画家氏姓は余(あぐり。無姓)のち百済朝臣。百済の第28代の王である恵王の後裔で〔『新撰姓氏録』左京諸蕃〕、余時善の子で、子に岑人がいたとする系図がある〔鈴木真年『百家系図稿』巻9,百済朝臣〕。官位従五位下安芸介
== 経歴 ==
大同3年(808年)に左近衛府に任ぜられるが、絵画に優れていたことから宮中に召し出された。
弘仁14年(823年美作権少目天長10年(833年従五位下に叙せられる。承和年間に備中介播磨介安芸介を務めるなど地方官を歴任した。この間、承和7年(840年)兄・福成らとともに合わせて3人が百済朝臣姓の賜与を受け〔『続日本後紀』承和7年6月22日条。ただし、承和12年正月7日条および承和13年2月29日条では「百済宿禰河成」という表記が見られる。〕、承和12年(845年)には内位の従五位下に叙せられている。
仁寿3年(853年)8月24日卒去享年72。最終官位散位従五位下。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「百済河成」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.