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百済王慶仲[くだらおう けいちゅう] 百済王 慶仲(くだらおう けいちゅう、生年不詳 - 承和8年4月20日(841年5月14日))は、平安時代前期の貴族。従五位上・百済王教俊の子〔栗原信充考訂『百済王三松氏系図』〕。官位は従四位下・民部大輔。 == 経歴 == 承和4年(837年)従五位上から正五位下に昇叙され〔『続日本後紀』承和4年10月28日〕、承和6年(839年)従四位下〔『続日本後紀』承和6年正月7日条〕・民部大輔に至る〔『続日本後紀』承和6年正月11日条〕。また、この間武蔵守を務めた〔。承和7年(840年)右大臣・藤原三守の薨去に際して、その邸宅に参議・文室秋津とともに派遣され、従一位贈位の詔を宣べている〔『続日本後紀』承和7年7月7日条〕。承和8年(841年)4月20日卒去。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「百済王慶仲」の詳細全文を読む
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