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百済王氏 : ウィキペディア日本語版
百済王氏[くだらのこにきし]

百済王氏(くだらのこにきしし)は、百済最後の王である義慈王の子である善光〔『旧唐書』列伝34劉仁軌伝に「扶余勇者、扶余隆之弟也、是時走在倭国、以為扶余豊之応、故仁軌表言之」とある扶余勇と推定する説がある。〕を始祖とする日本氏族持統朝に百済王の氏姓を賜与された。

== 概説 ==
氏として「百済」を称する氏族は複数ある(百済朝臣、百済公、百済連、百済宿禰)が、という特殊なの示すとおり、かつての百済を象徴する存在であったと思われる〔「こにきし」という読みの由来については百済#王を参照。〕。また延暦9年(790年菅野朝臣の改姓上表で、当事者である菅野真道だけでなく百済王仁貞らが後見者然と名を連ねている〔『続日本紀』延暦9年7月17日条〕ことより、百済系渡来氏族の宗家的地位にあったことが知られる。
百済王氏の本拠地は当初難波にあったが、その後北河内交野郡中宮郷(現・大阪府枚方市中宮)に本拠を移し〔河内国への移住は百済王敬福陸奥で黄金を発見し河内守に任命されたことが契機になっていると言われるが史料上の根拠はなく、移住時期については異説もある。〕、この地に百済王の祀廟と百済寺〔2006年(平成19年)の百済寺跡発掘調査により、これ以前から同所に何らかの建物が存在していたことが明らかとなった。出土遺物等から同所に建物が造営された時期は白鳳文化期と推定されている。(2006年(平成19年)4月11日:読売新聞朝刊 関西発「大阪・百済寺跡 百済王氏の邸宅か 大型建物跡が初の出土 壊した後に建立」 )〕を建立した。百済寺は中世に焼失したが、百済王神社は今も大阪府枚方市に残る。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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