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百済王 英孫(くだらのこにきし の えいそん)は奈良時代後期から平安時代初期にかけての貴族・武人。宮内大輔・百済王慈敬の子。官位は従四位下・右衛士督。 == 経歴 == 天応元年(781年)百済王俊哲が正五位上勲四等を授けられた折に正六位上から従五位下に叙爵する。いずれも征夷の労を賞されたものであり、以前より俊哲とともに辺境に勤労していたことが分かる。延暦4年(785年)には鎮守府権副将軍に補任。さらには出羽守に任ぜられた。延暦10年(791年)従五位上に叙される。その後、さらに従四位下に進み、延暦16年(797年)右兵衛督を務める。摂津守を経て延暦18年(799年)右衛士督に転じた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「百済王英孫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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