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百舌鳥大塚山古墳(もずおおつかやま こふん)は、大阪府堺市西区上野芝町四丁にかつて存在した古墳。古墳時代中期の前方後円墳。陵墓や史跡等に指定されていなかったことから、戦後の宅地造成で消滅した。 == 概要 == 墳丘の全長168メートルの前方後円墳であり、百舌鳥古墳群では第5位、全国でも第54位の大きさを誇っていた。 墳丘は三段築成、くびれ部には造り出しがあり、周濠がめぐっていた。 1949年(昭和24年)に墳丘が削られ、周濠も埋め立てられ、地上から姿を消した。 また、かろうじて残っていた墳丘の裾部も、1986年(昭和61年)の宅地造成工事により全て削り取られてしまった。 戦後に破壊された古墳として最大規模であり、現在は、道路の形状に輪郭の痕跡を残すのみである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「百舌鳥大塚山古墳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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