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百里奚[ひゃくりけい] 百里奚(ひゃくりけい)は、中国春秋時代の秦の宰相。五羖大夫(ごこたいふ)または百里傒とも呼ばれる。の父。 == 放浪の旅 == 百里奚は楚の出身と言われているが、彼の一世代前の時代に許の国に百里と言う名の大夫がいた事が春秋左氏伝に記されており、そこから百里奚の出身地は許との説もある。 その後百里奚は斉へと向かうが、入国した後に飢えで倒れた所を斉人のに助けられる。そこで世話になった百里奚は、当時の斉公(桓公の兄の襄公か、従兄弟の公孫無知のいずれか)に仕官しようとするが、蹇叔に止められる。後に斉公は殺された事から、百里奚は危機を上手く回避できた事になる。 次に百里奚は、周王朝の王子頽(恵王の弟)に仕えようとするが、ここでも蹇叔に止められる。王子頽は紀元前675年に恵王を追い、一時的に王位に就くが、二年後の紀元前673年に敗死したため、ここでも百里奚は危機を回避できたのである。 その次に百里奚は、周王室に連なる虞(姫姓、文王の伯父・虞仲(雍)の系統)へと仕官しようとするが、ここでまた蹇叔に止められる。しかし百里奚は彼の諌めを聞かずに虞の大夫として仕官し、それ以降蹇叔とは音信不通になってしまう。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「百里奚」の詳細全文を読む
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