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皇国地誌 : ウィキペディア日本語版
皇国地誌[こうこくちし]
皇国地誌(こうこくちし)は、明治初期の未完に終わった官撰地誌編纂事業。刊行されなかったが、残存する原稿や控えは「皇国地誌残稿」「郡村誌」(ぐんそんし)と呼ばれ、貴重な史料となっている。
明治新政府は国土把握には史誌地誌編纂が必要と考え、奈良時代風土記に倣った官撰地誌編纂を計画し太政官正院地誌課を新設した。さらに各府県へ所属内すべてのについて、詳細な調査報告書の提出を命じた。編纂には内務省地理寮(国土地理院の前身)があてられた〔石田龍次郎「皇国地誌の編纂:その経過と思想」一橋大学研究年報(1966) 一橋大学機関リポジトリ〕。
1872年(明治5年)頃から始められたが難航、紆余曲折ののち1884年(明治17年)に打ち切られ、大日本国誌編纂事業に引き継がれたが、これも安房国1冊の刊行に留まっている〔大日本国誌 安房 第三巻 近代デジタルライブラリー 国立国会図書館〕。
残稿は東京帝国大学に所蔵されていたが、関東大震災により大半が焼失してしまった。
== 沿革 ==
明治政府には民部省地理司が設けられていたが、地租改正に向けた測量事業を主務とし、掌提事務のひとつだった地誌編纂は着手されなかった。民部省が大蔵省と合併して租税寮地理課となると、この傾向は強まった。
一方、文部省は設立後すぐに教科書用として簡易な地誌を作成し、陸軍省も各府県へ指令(明治5年 陸軍省令第72号)を出し、詳細な地勢をはじめ、城郭城址、食料生産、運送会社など兵站面を重視した調査を進めていた。
*1872年明治5年9月24日) 太政官達第288号「皇國地誌編集一切正院に管轄す」〔法令全書[第7冊]明治5年 近代デジタルライブラリー 国立国会図書館〕
*1872年明治5年10月) ウィーン万国博覧会に出陳する「日本地誌提要」の編纂開始(翌年3月完了し、国内でも1874~1879年に刊行)
*1873年(明治6年)5月5日 宮城火災により史料多数を焼失
*1875年(明治8年)6月5日 開拓使と府県にあてた太政官達第97号「皇國地誌編輯例則並びに著手方法を定む」〔法令全書[第10冊]明治8年 近代デジタルライブラリー 国立国会図書館〕により、具体的な指示が出される(11月12日付太政官達第196号で補足)
*1875年(明治8年)7月3日 内務省火災により史料多数を焼失
*1878年(明治11年)1月10日 内務省地理局(局長桜井勉)に地誌課が発足、塚本明毅が編纂にあたる
 *組織の変転(地理寮→修史局→修史館→地理局)による人員交代が相次いでいたが、ここでようやく安定
*1884年(明治17年)7月 府県委託による編纂が進まず(達成率は2割未満とされる)打ち切られる
*1885年(明治18年) 桜井により地理局直轄編纂に改められ、塚本の死去により河田羆が編纂にあたる
 *この時点で、府県から集めた資料草稿は2400部
*1886年(明治19年) 桜井以下の実地調査による「大日本国誌 安房 第三巻」が刊行(刊行されたのはこの1冊のみ)
*1890年(明治23年) 桜井が転出し、業務が文部省帝国大学に移管される
*1893年(明治26年)4月10日 事業停止が決定する
*1923年(大正12年) 関東大震災により東京帝国大学附属図書館とともに約6400冊の残稿の大半が焼失

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「皇国地誌」の詳細全文を読む



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