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皖南事変 : ウィキペディア日本語版
皖南事変[かんなんじへん]

皖南事変(かんなんじへん)は、1941年に中国安徽省南部で起こった中国国民党軍と中国共産党軍の武力衝突。具体的には、国民党軍と新四軍の衝突であるが、共産党は事変発生時・発生後に国民党による軍事クーデターであると宣伝した。
==背景==
中国共産党第六期六中全会(1938年)で共産党は勢力拡大路線を決定した。当時共産党の根拠地は延安を中心とした黄河中流域と華北の日本軍勢力圏内でのゲリラ根拠地であった。北方では優勢な共産党・八路軍も、江南地域においては長征による根拠地放棄の結果、国民党政権の影響力が圧倒的であり新四軍もわずかな兵力(設立当初は1万人程度)しかもっていなかった。この決定を受けて、江南抗日義勇軍が組織され、新四軍との共闘、江南における根拠地確保が進められることとなった。
当時南京を中心とする地域は日本軍との戦闘に敗れた国民党軍が撤退した後、中国側勢力の存在しない地域であったことも、この決定を後押しする材料であった。
しかしながら、当該地域には国民党系の忠義義勇軍が既に組織されており、また国民党正規軍も抗日戦線を展開していた(実際には汪兆銘政権との馴れ合いで、実質的な戦闘はほとんど行われなかった)。このため、国民党との摩擦は避けられないものとなったが、中共中央は延安根拠地をはじめとした当時経済基盤が弱く、イデオロギーのみでは軍はおろか組織としての共産党の維持もままならない状況に陥っていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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