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益川 敏英(ますかわ としひで、1940年2月7日 - )は、日本の理論物理学者。専門は素粒子理論〔氏名表記、氏名の読み、生年月日、職業(理論物理学者)は、日外アソシエーツ株式会社編『新訂 現代日本人名録 2002 4. ひろーわ』日外アソシエーツ株式会社、2002年1月28日、497頁。〕。名古屋大学素粒子宇宙起源研究機構長・特別教授、京都大学名誉教授、京都産業大学益川塾教授・塾頭。愛知県名古屋市出身。 == 概要 == 愛知県名古屋市中川区生まれ〔「名古屋ノーベル賞物語」(2)下町のエジソン 父譲り 科学の感覚 中日新聞 (2008-12-09). 2009-03-02閲覧。〕。戦後は昭和区、西区で少年期を過ごす〔。生家は戦前は家具製造業、戦後は砂糖問屋を営んでいた。 名古屋大学で坂田昌一研究室に所属し理学博士号を取得〔粒子と共鳴準位の混合効果について. 2009-08-07閲覧 〕。博士論文のタイトルは「粒子と共鳴準位の混合効果について」(名古屋大学、1967年)。 京都大学理学部の助手であった1973年に、名古屋大学・坂田研究室の後輩である小林誠と共にウィーク・ボゾンとクォークの弱い相互作用に関するカビボ・小林・益川行列を導入した。この論文は、日本人物理学者の手による論文としては歴代で最も被引用回数の多い論文である。 京都大学より名誉教授の称号を授与され、現在は名古屋大学特別教授・素粒子宇宙起源研究機構長。京都大学基礎物理学研究所所長、日本学術会議会員を歴任した。 2008年、「小林・益川理論」による物理学への貢献でノーベル物理学賞を受賞。 コペンハーゲン学派の伝統を持ち帰った仁科芳雄の自由な学風を受け継ぐ坂田昌一のグループに属し、坂田が信奉する武谷三男の三段階説の影響を受けた、名大グループを代表する学者でもある。 また、護憲運動に取り組んでいる〔"益川敏英博士「日本の平和憲法は改悪の危機」 ". 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 (2013/07/14 01:31)。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「益川敏英」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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