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盟三五大切[かみかけて さんご たいせつ] 盟三五大切(かみかけて さんご たいせつ)は、四代目鶴屋南北による歌舞伎狂言。文政8年9月(1825年10月)に江戸の中村座で初演。歌舞伎の演目としては世話物に分類される。江戸時代における上演について詳細は不明だが、昭和51年(1976年)に国立劇場において、郡司正勝の補綴、演出によって復活上演されて以来、現在でもしばしば上演されている。 == 概要 == 歌舞伎作品の中でも、当時(大まかな時代として江戸時代)の出来事を扱う世話物であるこの作品は、『東海道四谷怪談』の後日譚、並木五瓶の『五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじめ)』の書き換え、『仮名手本忠臣蔵』の外伝としての性格を持つ物語が展開される。 『忠臣蔵』で有名な不破数右衛門が薩摩源五兵衛に身をやつし金策をする中、逆に三五郎(実は徳右衛門倅千太郎)に百両を騙し取られ、凄惨な殺人鬼と化してしまう。そのような源五兵衛が元の数右衛門に戻って、晴れて討ち入りする結末に、南北の武士社会への皮肉が表現されているとされる。 本作が作られた事情は、「四谷怪談」が大当たりのさなかに主演の三代目尾上菊五郎が太宰府参詣のため中村座を退座してしまい、困った関係者が作者南北に急きょ作成させたことにある。小規模な作品だが綿密な構成、凄惨な殺し場に満ち、しかも喜劇の要素も絡ませるなど南北の作劇術の才能が溢れた作品で、「四谷怪談」とともに評価が高い。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「盟三五大切」の詳細全文を読む
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