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盧天命(ろてんめい、1912年9月2日 - 1957年6月16日)は朝鮮の詩人。孤独な生涯を郷土的世界と主情的世界を詩に読むことに捧げた。代表作「(鹿)」は、盧の代名詞となっている。 == 略歴 == 1912年9月2日、黄海道長淵郡蒪澤面に生まれる。父は西海盧氏の盧啓一、母は義城金氏の金鴻基、3人姉妹の次女。盧啓一は村の小地主で船関係の商売もしていたため、家は裕福な方であった。盧は生まれたとき、基善と名づけられたが、5歳のときに麻疹にかかり、危うく命を落としそうになる。この一件の後、天命と名を改めた。1920年、盧が9歳のとき、父が亡くなると、母方の実家があるソウルに移り住んだ。 進明普通学校を経て進明女子高等普通学校に進み、1930年に梨花女子専門学校英文科に進学した。この頃から詩の習作を始め、同校を卒業する頃には詩人として相当の水準に達していた。本格的に詩作に没頭するのは朝鮮中央日報社に勤めてからである。1935年、呉一島が創刊した詩誌『詩苑』の創刊号に「(私の青春の船は)」が掲載され、文壇に登場する。『詩文学』を発行していた朴龍喆の妹である朴鳳子と同学であったので、よく朴龍喆宅に遊びに行っていた。また、海外文学派が作った劇芸術研究会の会員になり、海外文学派とも親交があった。 1938年、咸大勲、李軒求、徐恒錫、曺希淳、李時雄、毛允淑、崔永秀、金福鎮等劇芸術研究会のメンバーと、アントン・チェーホフの「桜の園」を演じた。この公演に来ていた普成専門学校で経済学を教えていた教授、金光鎮と出会い、恋に落ちる。しかし、金には妻がおり、幸せな恋愛にはならなかった。この顛末は社会的な話題になり、兪鎮午が彼等の恋愛を「離婚」という小説で出したのでなお有名になった。結局、その恋愛は1949年に金が平壌に行ったきり戻って来ないことで終わった。 1938年1月、詩集『珊瑚林』に「(鹿)」という詩が収録された。盧の代名詞ともなる詩である。盧はか弱い草食動物である鹿に自分の孤独を発見した。 1945年、朝鮮が解放を迎えたかと思うと、すぐに朝鮮戦争が始まった。盧は好むと好まざるとに関わらず、生きるために朝鮮文学家同盟の一員として活動した。これが、共産軍に加担したという嫌疑になり、捕らえられることになる。1951年、盧は金珖燮に自分を救い出すように手紙で要求し、これを受け取った金は金尚鎔、李軒求、李健赫等と協力して釈放運動を起こし、1951年3月2日、釈放された。 1956年、『梨花70年史』を執筆しているとき、体調を損ね、翌1957年3月7日には、脳溢血で清涼里の衛星病院に入院する。そのときはまもなく退院するが、6月16日、午前1時30分、桜下洞の自宅で息を引き取った。遺骨は、18日にソウル市東区中谷洞のカトリック墓地に埋葬された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「盧天命」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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