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盧明月(ろめいげつ、生年不詳 - 617年)は、中国の隋末の民衆叛乱の指導者。本貫は、涿郡(現在の河北省涿州市)。 614年に挙兵して、隋に叛いた。12月、十数万の衆を率いて祝阿県に入り、隋の張須陀の軍と十数日のあいだ対峙した。張須陀が撤退を開始すると、これを追撃したが、秦叔宝・羅士信らに本営を落とされ、大敗した。615年10月、十万の衆を率いて淮陽郡・襄城郡を攻めた。河南を転戦し、のちに淮北に入り、衆四十万を号した。無上王を自称した。617年1月、隋の江都通守王世充の討伐を受けて、南陽で戦って大敗し、斬られた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「盧明月」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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