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直世王[なおよおう]
直世王(なおよおう、宝亀8年(777年)〔『続日本後紀』の薨伝による享年58から逆算。『公卿補任』では宝亀6年生とする。〕 - 承和元年1月4日(834年2月15日))は、平安時代前期の皇族。名は真世王とも記される〔『本朝皇胤紹運録』〕。一品・長皇子の後裔。従五位上・清原王の子。官位は従三位・中納言。
== 経歴 == 延暦23年(804年)縫殿大允に任ぜられ、平城朝では大舎人允・内蔵助を歴任する。 弘仁元年(810年)従五位下・内蔵頭に叙任される。弘仁2年(811年)従五位上・中務大輔、弘仁7年(816年)正五位下・蔵人頭、弘仁9年(818年)従四位下・左京大夫と、嵯峨朝では順調に昇進し、弘仁12年(821年)参議兼左大弁に任ぜられ公卿に列した。弘仁13年(822年)従四位上。 淳和朝でも引き続き参議に左大弁を兼帯する一方、天長4年(827年)正四位下に叙せられている。天長7年(830年)従三位・中納言兼中務卿に叙任。同年、薬師寺にて毎年法事を開催して、高徳の僧侶を集めて『最勝王経』の講説を行うこと、この法会における論議を諸国の講師・読師に任用するための試験とすることを上奏し、許されている(『薬師寺最勝会』)〔『日本後紀』天長7年9月14日条〕。また、淳和天皇の勅により『日本後紀』の編纂にも参画した〔『日本後紀』序文〕。 天長10年(833年)仁明天皇の即位に伴い兼官が弾正尹に移るが、まもなく中務卿に還任している。承和元年(834年)1月4日薨去。享年58。最終官位は中納言従三位兼中務卿。
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