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直川 公俊(のうがわ きみとし、1984年2月6日 - )は、イタリアサッカーリーグ・セリエDのクラブチームリカータ・カルチョの会長。和歌山県出身の元サッカー選手。ポジションはMF。2007年にはアジア人として初となるアフリカンチャンピオンズリーグ出場を果たした。 == 来歴 == 小学4年からサッカーを始め、U-12和歌山県選抜に選出。由良FCやセレッソ大阪ジュニアユースでプレーし、中学卒業後和歌山県内の高校へ進学した。高校1年の頃U-17日本代表に選出される。 2年の終わり頃に立正大学淞南高校に転校し、冬の全国高校サッカー選手権大会に出場した。 高校卒業後、静岡産業大学へ進学するが、サッカー部に籍をおかず、海外留学への道を模索。 大学在籍時、ラホール・アカデミー・フィレンツェのサッカー留学支援にて、2003年2月からの2ヶ月間、イタリアセリエAのブレシアに短期留学。ロベルト・バッジョやジョゼップ・グアルディオラ、ルカ・トニも当時在籍しており、共に練習をする機会に恵まれる。その後はブラジルに渡り、各クラブで練習生として修行を積んだ。 2004年1月にエクストラクラサのグールニク・ザブジェと念願の選手契約を結んだ。6試合2アシストというまずまずの成績を残し、リーグ・アンのASサンテティエンヌが興味を示す。 2005年9月にはルーマニア2部のFCMトラゴビスタと契約を結ぶ。 2004年12月23日に行われた前年6月のコンフェデレーションズカップ試合中に心臓発作で急逝した元カメルーン代表MFフォエの追悼試合に招待され、サミュエル・エトオやリゴベール・ソングなどのカメルーン代表選手とプレー。これをきっかけに、同国1部リーグのキャノン・ヤウンデに興味を持たれ、2006年に、翌年2007年1月からの9ヶ月間の契約で入団する事が決まった。 2008年1月には、イタリア2部のブレシアへの、2009年1月には、6ヶ月間の契約でポーランド2部のZKSスタル・スタロワ・ウォラへの移籍が決まった。 2004年、ポーランドに移籍した際、ズラタン・イブラヒモビッチやパベル・ネドベドの代理人、ミノ・ライオラ、ガブリエルがサポートをした。 2006年、イスラエル1部リーグ マカビ・ネターニャに練習参加した際、リオ・ファーディナンド、スベン・エリクソンの代理人、またはチェルシーの会長ロマン・アブラモビッチのアドバイザー務めるビニ・ザハビがサポートをした。 2013年8月、イタリアのアマチュアサッカーリーグで、プロ(レガ・カルチョ)を含めると上から5番目の選手権であるセリエDのクラブチームであるリカータ・カルチョの会長に就任した。2013年8月現在、リカータ・カルチョにはジュビロ磐田やヴァンフォーレ甲府、サガン鳥栖でプレーした犬塚友輔、林洋人が在籍している。〔〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「直川公俊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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