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相内 誠(あいうち まこと、1994年7月23日 - )は、埼玉西武ライオンズに所属するプロ野球選手(投手)。2014年からの登録名は誠(まこと)。 == 経歴 == === プロ入り前 === 千葉県富津市出身〔2016プロ野球12球団全選手カラー百科名鑑 廣済堂出版発行 80頁〕(柏市生まれ〔高校で「房総のダル」/相内誠投手メモ 日刊スポーツ 2014年1月22日掲載〕)。小学校4年生の時に野球を始め、富津市立天羽中学校は軟式野球部に所属〔2012年ドラフト ◇西武2位指名 スポニチ Sponichi Annex〕。家庭の事情で中学生時代を児童養護施設で過ごした〔相内 契約金は「貯金」も2桁勝って高級車買う! スポニチ Sponichi Annex 2012年11月16日掲載〕。 千葉国際高等学校では1年生時の夏にベンチ入り〔。2年生時の夏の甲子園・千葉大会の対松戸馬橋戦に先発登板した際、先頭打者から9連続奪三振を記録した〔〔連続9Kでも「出来は60点」 千葉国際・相内投手 朝日新聞デジタル 2011年7月12日掲載〕。3年生時の春季県大会では5試合40回を投げ47奪三振、防御率0.00だった〔千葉国際・相内誠、5戦47K防御率0・00 2012年7月6日紙面から〕。同年の夏の甲子園・千葉大会では2試合に救援登板し、1イニングずつを投げ無失点だったが、チームは3回戦で敗れた〔千葉国際の相内に日米13球団/千葉大会 日刊スポーツ 2012年7月16日紙面から〕〔房総のダル わずか25球終戦/千葉大会 日刊スポーツ 2012年7月18日紙面から〕。高校時代は「房総のダルビッシュ」の異名をとった〔〔。 2012年10月25日に行われたプロ野球ドラフト会議で埼玉西武ライオンズに2巡目で指名され〔2012年ドラフト会議 全指名選手 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト 2012年10月25日配信〕、11月15日に契約金7,000万円、年俸700万円(金額は推定)で合意し〔西武 ドラ2相内と合意、契約金7千万円、年俸700万円 スポニチ Sponichi Annex 2012年11月15日掲載〕、背番号は41が用意された〔西武ドラ2右腕・相内にナベQ背番「41」用意へ スポニチ Sponichi Annex 2012年11月28日掲載〕。 12月4日に東京湾アクアラインの木更津金田IC付近で車を運転中に道路交通法違反(無免許運転および速度超過)で千葉県警に摘発され、高校側は7日に相内を無期限謹慎処分としたことを発表した〔西武ドラ2相内が無免許でスピード違反 nikkansports.com. 2012年12月8日掲載〕。これにより入団手続きは一時凍結され〔西武「摘発」相内と交渉凍結!取り消しも 日刊スポーツ 2012年12月8日紙面から〕、12月13日に行われた新人の入団会見も欠席した〔【西武】謹慎相内除く新人5選手入団発表 日刊スポーツ 2012年12月13日掲載〕。 2013年1月初旬に無期限謹慎から学校内謹慎に変更され、その後は個別に授業を受け自主練習に励んでいた〔【西武】相内、学校内謹慎で自主練習 nikkansports.com. 2013年2月1日掲載〕。 3月9日、西武は2回の面談の結果本人が反省しており社会的制裁も十分受けたこと、および学校側の謹慎も解除されたことから入団凍結の解除を発表〔西武 道交法違反のドラ2相内と10日に交渉 まとまり次第入団 スポニチ Sponichi Annex 2013年3月9日掲載〕。翌10日に入団記者会見が行われ〔相内誠投手 入団会見 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト 2013年3月10日配信〕、11日に支配下選手登録された〔支配下選手登録 (2013年度シーズン途中・2月以降) - 日本野球機構オフィシャルサイト〕。なお、背番号は用意されていた41ではなく71となり、年俸も当初の700万円から70万円差し引かれた630万円となった〔【西武】相内入団を発表、背番41→71 nikkansports.com. 2013年3月10日掲載〕〔西武 ドラ2相内入団を発表 背番号41→71で再出発 スポニチ Sponichi Annex 2013年3月11日掲載〕。 3月28日、千葉家庭裁判所木更津支部は相内を保護観察処分としたことを発表した〔西武・相内は保護観察処分 無免許で29キロ速度超過 スポニチ Sponichi Annex 2013年3月29日掲載〕。この保護観察は同年9月まで受けていた〔相内 誠投手について 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト 2014年1月22日配信〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「相内誠」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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