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相模小唄 : ウィキペディア日本語版
神奈川県々歌[かながわけんけんか]

神奈川県々歌」(かながわけんけんか)は昭和時代戦前の日本において、神奈川県が制定していた県歌である。神奈川県選定(作詞者不明)、作曲・船橋栄吉
本項では「神奈川県々歌」を掲載した神奈川県発行の冊子『我が県の歌』(わがけんのうた)および、同冊子に併載されている「神奈川県行進歌」(かながわけんこうしんか)と「相模小唄」(さがみこうた)についても解説する。
== 神奈川県々歌 ==
1930年(昭和5年)頃に神奈川県が佐佐木信綱北原白秋与謝野晶子らを審査委員に迎えて県歌・行進曲民謡の三部門で歌詞の公募を実施した〔はしがき。〕。この際に採用された歌詞を基に船橋栄吉が県からの依頼で作曲を行い、県発行の冊子『我が県の歌』に歌詞と楽譜および数字譜が掲載されたが作詞者については「神奈川県選定」とされており、採用された歌詞の応募者に関する経歴などの詳細は一切不明である〔資料よもやま話1 昭和初期の二つの楽譜 「我が県の歌」神奈川県編 横浜開港資料館館報『開港のひろば』)〕。
この県歌は余り普及しなかったようで、1950年(昭和25年)には現在の県民歌「光あらたに」が制定されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「神奈川県々歌」の詳細全文を読む



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