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相生高秀 : ウィキペディア日本語版
相生高秀[あいおい たかひで]

相生 高秀(あいおい たかひで、1912年明治45年)1月4日 - 1993年平成5年)3月6日)は、日本海軍軍人海上自衛官海兵59期。最終階級は海軍中佐(日本海軍)、海将(海自)。第二次世界大戦期における撃墜王。公式撃墜記録は10機。
==経歴==
1912年(明治45年)、広島県で海軍兵学校剣道教員を務める父のもとに生まれる。父は教員になる前、海軍で兵学校運用科の下士官として勤務しており退役した。呉一中学を経て、1928年(昭和3年)4月、海軍兵学校59期生として入校。1931年(昭和6年)11月7日兵学校を卒業。装甲巡洋艦浅間」乗組を経て〔昭和7年2月1日調 174ページ 〕1933年(昭和8年)11月第25期飛行学生を拝命。1934年(昭和9年)7月飛行学生教程を修了、館山航空隊付(戦闘機分隊士、海軍中尉に昇任)。1935年(昭和10年)空母龍驤」乗組(戦闘機分隊士)。佐伯航空隊を経て、1937年(昭和12年)7月第十二航空隊に着任。この頃、相生から戦闘機パイロットの教育を受けた原田要は「相生中尉は、天性の恵まれた体格を持ち、運動神経も素晴らしく優れており、その上、人一倍の努力家で、私は心から尊敬していました。」〔『わが誇りの零戦 祖国の為に命を懸けた男たちの物語』原田要著、桜の花出版、2013年 ISBN 978-4434184017  47ページ〕「相生中尉は物凄い腕力の持ち主で、「急降下して上昇に移る時に、一旦ピタっと停止し、それから上昇に移っていました。実際には、停止することなど有り得ないことですが、まるで一瞬止まったかのように見えるほど、急激に上昇して行くのです。」と語っている〔『わが誇りの零戦 祖国の為に命を懸けた男たちの物語』原田要著、桜の花出版、2013年 ISBN 978-4434184017  48ページ〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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