翻訳と辞書
Words near each other
・ 相馬市民会館
・ 相馬市立磯部中学校
・ 相馬師常
・ 相馬師胤
・ 相馬幸人
・ 相馬康一
・ 相馬庸郎
・ 相馬弁
・ 相馬御厨
・ 相馬御風
相馬徳胤
・ 相馬忠胤
・ 相馬恕胤
・ 相馬恵胤
・ 相馬愛蔵
・ 相馬敏夫
・ 相馬整胤
・ 相馬斉胤
・ 相馬昌胤
・ 相馬暁


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

相馬徳胤 : ウィキペディア日本語版
相馬徳胤[そうま のりたね]

相馬 徳胤(そうま のりたね)は、相馬中村藩6代藩主・相馬叙胤の三男。子は相馬恕胤(次男)。従五位下、因幡守。幼名は鍋千代、菊千代、通称は内膳。
誕生してまもなく実兄が亡くなったため三男ながら嫡男となる。1702年(元禄15年)4月には幼名を菊千代に改めた。宝永5年(1708年)12月3日、陸奥中村藩主相馬尊胤の養子となる。正徳4年(1714年)7月21日、将軍徳川家継に御目見する。享保元年(1715年)12月18日、従五位下因幡守に叙任する。享保9年(1724年)に内藤弌信の娘(内藤信輝の養女)・おそよの方と結婚するものの、享保14年(1729年)に子どもが無いまま先立たれた。享保15年、秋田藩主佐竹義峯から養子縁組を申し込まれるものの、養父尊胤は断っている。享保16年(1731年)に浅野吉長の娘と再婚し、嫡男・正千代が生まれた(ただし早世)。その後、側室との間に次男・恕胤が生まれた。
宝暦2年(1752年)、家督相続以前に死去し、8代藩主には次男・恕胤が就いた。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「相馬徳胤」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.