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相馬 直樹(そうま なおき、1971年7月19日 - )は、静岡県静岡市清水区出身の元プロサッカー選手、現サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。選手時代のポジションはディフェンダーで、主に左サイドバックを担当。またキャリア後期にはボランチやリベロでもプレーした。 == 来歴 == 清水東高校から早稲田大学を経て、1994年、鹿島アントラーズに入団。不動の左サイドバックとしてチームの黄金時代に大きく貢献し、1998年のフランスW杯に出場するなど日本代表でも活躍した。2000年天皇杯で左膝外側半月板損傷の重傷を負い、1年近くをリハビリに費やした。 2002年、東京ヴェルディ1969にレンタル移籍、2003年に鹿島に復帰後、2004年に当時J2の川崎フロンターレに完全移籍した。川崎のJ1昇格に貢献した後、2005年シーズン終了をもって引退。引退試合は2005年12月24日の天皇杯、対浦和レッドダイヤモンズ戦。 引退後はサッカー解説者として主にTBS系列やスカパー!の中継番組に出演。また2006年からはJFAアンバサダーや川崎フロンターレクラブアシストパートナーとしても活動、新聞、雑誌等にも多数寄稿していた。 2009年8月にU-20日本代表のナショナルトレセンコーチを務めた他、同年にJFA 公認S級コーチライセンスを取得した。 2010年、JFLに所属するFC町田ゼルビアの監督に就任。ワールドカップを経験した日本人選手の中では初の監督就任となった。町田をJ2参入条件を満たすリーグ3位に導いたが、スタジアム設備など成績以外の条件がJリーグ基準を満たさなかったため、J2参入を逃した。クラブからの慰留を辞退し〔J1川崎来季監督に相馬氏 元日本代表で川崎OB 47NEWS 2010年12月9日〕、1年限りで監督を退任。 2011年、古巣である川崎フロンターレの監督に就任。一時は残留争いに巻き込まれるなど11位に低迷。2012年も開幕2連勝のあと公式戦5戦勝ちなしと低迷を抜け出せず、2012年4月11日に監督契約を解除された〔相馬直樹監督 契約解除のお知らせ 川崎フロンターレ公式サイト 2012年4月11日〕。スポーツナビのコラムでは、消極的な采配で選手の信頼を失ったと解説されている。 2013年、モンテディオ山形のヘッドコーチに就任。同年シーズン限りで退任した。 2013年12月5日、2014年シーズンからFC町田ゼルビアの監督に就任することが発表された。町田へは4年ぶりの復帰となる。 2014年11月27日、2015年シーズンも引き続きFC町田ゼルビアの指揮を執ることが発表された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「相馬直樹」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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