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宮川一笑[みやがわ いっしょう] 宮川 一笑(みやがわ いっしょう、元禄2年〈1689年〉 - 安永8年12月14日〈1780年1月20日〉)とは、江戸時代の浮世絵師。 == 来歴 == 宮川長春の門人。本姓は藤原、のちに県(あがた)氏を名乗る。俗称喜平次。一笑のほかに湖辺斎、安道、蘇丸と号す。江戸芝田町二丁目に家主を務めていたという〔「新島流人帳」『新島村史資料編 2 流人史』所収、新島社、1996年、p.225。〕。長春譲りの肉筆美人画を専門とし、宮川派の絵師の中では宮川長亀と並んで双璧とされる。作画期は享保から没年にまで及び、数多くの作を残す。 寛延3年(1750年)、日光東照宮の彩色修理に携わった長春がその報酬を巡って稲荷橋狩野家より暴行を受け、これを遺恨とした長春の子の長助と一笑は、稲荷橋狩野家に夜分に斬り込み、当主狩野春賀をはじめとする三人を殺傷した。これにより宝暦2年(1752年)11月、一笑は伊豆国新島へ流罪となる。このとき64歳であった。新島では七福神や仏画を描いて露命をつなぐこととなり、また宮川の画姓を憚って本姓の藤原または県氏を名乗り、安道と蘇丸の号を用いた。そのまま赦免されることなく新島にて没す。享年91。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宮川一笑」の詳細全文を読む
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