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真下 佐登史(ましも さとし、1974年3月6日 - )は、群馬県伊勢崎市出身の元サッカー選手・サッカー指導者。 == 来歴・人物 == * 専修大学サッカー部では、お笑いコンビペナルティのヒデ(2年先輩)とワッキー(1年先輩)が同僚だった。 * 1999年3月14日のJ2第1節ベガルタ仙台戦(仙台スタジアム)、途中出場のファーストタッチでゴールを決めた。これが山形の記念すべきJリーグ初得点である。 * J2初年度である1999年は18得点を挙げ、大分トリニータの神野卓哉に次ぐ得点ランキング2位に輝く大活躍を見せた。 * 2000年5月7日のJ2第11節浦和レッドダイヤモンズ戦(山形県総合運動公園陸上競技場)で先制ゴールを決めた。試合は1-0で山形が勝利し、当時のJ2で圧倒的な戦力を誇っていた浦和に初黒星をつけた。しかしこの年は怪我の影響もあって前年の活躍から一転、わずか2得点に終わりシーズン終了後に戦力外通告を受けた。 * 2001年、地元の群馬県からJリーグを目指す図南SCに移籍するものの戦術が合わず活躍するまでには至らなかった。 * その後は学校法人山崎学園に勤務し、東日本デザイン&コンピュータ専門学校及び東日本ホテルトラベル専門学校のサッカー部を指導していた。また、地元群馬でサッカー指導者を務める一方、地域リーグで現役選手としてプレーも続けた。 * 2003年、群馬県の中でもさらに地元の伊勢崎市をホームに活動しているジェラルド伊勢崎に移籍。1年でジェラルド伊勢崎を群馬県リーグ2部から1部に昇格させる。 * その後、ジェラルド伊勢崎で子供対象のスクールを開きながら現役を続けるが、少しずつ選手から指導者へ比重が移り、そのまま現役引退。 * 2010年、ジェラルド伊勢崎ジュニアユースに在籍している子供たちの事を考え、ジェラルド伊勢崎ジュニアユースチームごとFC群馬境に合流し、現在に至る。 * 好きな選手はモンテディオ山形在籍時の同僚である高橋健二と公言している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「真下佐登史」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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