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真中 満(まなか みつる、1971年1月6日 - )は、栃木県大田原市出身の元プロ野球選手(外野手)、コーチ、監督(東京ヤクルトスワローズ第22代監督〈現職〉)。 シーズンより東京ヤクルトスワローズの監督を務める。 == 来歴 == === 現役時代 === 大田原小5年の時に野球を始め、宇都宮学園時代は3番を打ち、4番の高嶋徹と共に3年時のに春夏連続で甲子園に出場。春はベスト4、夏は3回戦で敗退した。 卒業後、日本大学経済学部経済学科に進学(同期生に渡邉博幸がいる)。1年秋の入れ替え戦ではサヨナラ本塁打を打った。4年春に打率.386、13打点で2冠を獲得。東都大学リーグ通算71試合出場、260打数78安打、打率.300、8本塁打、41打点。ベストナイン4回。尚、現在福岡ソフトバンクホークスでバッティングピッチャーの門奈哲寛とは日大の同期である。 のドラフト3位でヤクルトスワローズに入団。はヘルニア手術のため7試合の出場に終わったが、はケガの飯田哲也に代わり1番を担い、リーグ優勝・日本一に貢献する。には133試合フル出場を達成し、にはプロ入り初の打率3割を達成。は打率.312でリーグ優勝、日本一に貢献した。 野村克也監督率いるヤクルトの黄金期では真中はセンターのポジションを名手・飯田と争っていたため、飯田が故障で戦列を離れた際の代役扱いだった。しかし飯田が繰り返して怪我をするようになり立場が逆転し、98年からはレギュラー外野手としてライト、センターを守るようになった。2005年は青木宣親の台頭でレギュラー争いが再び激化。今度はリーグの最多安打記録を塗り替える青木の大活躍で出場機会が減ってしまうが、真中には勝負強いバッティングを生かすため代打の切り札という新たな役割が与えられた。代打でも3割バッターとして遜色のない働きを見せ、2007年には日本記録となるシーズン代打起用回数98回・代打のみで31安打を記録するなど“代打職人”、“代打の神様”と称される選手となった。この代打起用回数・代打安打数は2014年現在未だに破られていない。は14打数1安打(打率.071)に終わり、同年限りで現役を引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「真中満」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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