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真山 青果(まやま せいか、旧字体:眞山 靑果、1878年(明治11年)9月1日 - 1948年(昭和23年)3月25日)は、日本の劇作家・小説家。本名は、真山 彬(まやま あきら)。 宮城県仙台市裏五番町三番地に生まれる。父・寛は旧伊達藩士の士族で小学校の校長だった。 仙台市に近い農村を舞台とした農民文学の『南小泉村』(「新潮」1912年5月号)で注目された。 佐藤紅緑、小栗風葉に師事。正宗白鳥と共に新進の自然主義作家として登場したが、極端な癇癖と原稿の二重売り事件で文壇からは一時遠のく。1919年、新派の座付作家として復活。『元禄忠臣蔵』は新歌舞伎の名作といわれる。ほかに『平将門』など多数がある。『随筆滝沢馬琴』は、初めて滝沢馬琴の全体像を捉えた評論である。井原西鶴の研究もある。 1942年帝国芸術院会員。心臓麻痺により疎開先の静岡県沼津市で急死、69歳だった。 演出家・劇作家で劇団新制作座を主宰する長女の真山美保は、歌舞伎関係者を対象に1982年から2001年まで真山青果賞を設けた。 ==作品== *『玄朴と長英』 「中央公論」1924年9月。1924年10月初演 *『平将門』 「中央公論」1925年1月。1927年2月本郷座初演 *『小判拾壱両』 「演劇新潮」1926年5月。1934年5月帝国ホテル演芸場初演 *『大石最後の一日』 新歌舞伎書下ろし。1934年2月歌舞伎座初演 *:以後、連作「元禄忠臣蔵」として計10編11作が制作された。 *『新門辰五郎』 「講談倶楽部」1939年5月 – 9月。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「真山青果」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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