翻訳と辞書
Words near each other
・ 真屋順子
・ 真山
・ 真山くみ子
・ 真山りか
・ 真山れみ
・ 真山一郎
・ 真山亜子
・ 真山仁
・ 真山典子
・ 真山勇一
真山彬
・ 真山惠衣
・ 真山明大
・ 真山景子
・ 真山村
・ 真山知子
・ 真山祐一
・ 真山神社
・ 真山美保
・ 真山譲二


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

真山彬 : ウィキペディア日本語版
真山青果[まやま せいか]

真山 青果(まやま せいか、旧字体:眞山 靑果1878年明治11年)9月1日 - 1948年昭和23年)3月25日)は、日本劇作家小説家。本名は、真山 彬(まやま あきら)。
宮城県仙台市裏五番町三番地に生まれる。父・寛は旧伊達藩士の士族で小学校の校長だった。
仙台市に近い農村を舞台とした農民文学の『南小泉村』(「新潮」1912年5月号)で注目された。
佐藤紅緑小栗風葉に師事。正宗白鳥と共に新進の自然主義作家として登場したが、極端な癇癖と原稿の二重売り事件で文壇からは一時遠のく。1919年、新派の座付作家として復活。『元禄忠臣蔵』は新歌舞伎の名作といわれる。ほかに『平将門』など多数がある。『随筆滝沢馬琴』は、初めて滝沢馬琴の全体像を捉えた評論である。井原西鶴の研究もある。
1942年帝国芸術院会員。心臓麻痺により疎開先の静岡県沼津市で急死、69歳だった。
演出家劇作家劇団新制作座を主宰する長女の真山美保は、歌舞伎関係者を対象に1982年から2001年まで真山青果賞を設けた。
==作品==

*『玄朴と長英』 「中央公論」1924年9月。1924年10月初演
*『平将門』 「中央公論」1925年1月。1927年2月本郷座初演
*『小判拾壱両』 「演劇新潮」1926年5月。1934年5月帝国ホテル演芸場初演
*『大石最後の一日』 新歌舞伎書下ろし。1934年2月歌舞伎座初演
*:以後、連作「元禄忠臣蔵」として計10編11作が制作された。
*『新門辰五郎』 「講談倶楽部」1939年5月 – 9月。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「真山青果」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.